PROJECT

宝のお仕事自慢

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#06

森の窓

町の山側、所司原地区にある木製サッシをつくる会社「森の窓」は
響く機械音や、職人の緻密で精巧な技術とは裏腹に
ゆうゆうとした空気の流れる場所。
木造りの社屋はその名前の通り、
森に開かれた一つの大きな窓のよう。

そんな「森の窓」がつくるサッシは、
いつもの世界を少しだけ違って見せてくれます。

けれども、特別なのはそれだけじゃない。

木の枠に囲われた風景をぼんやりと眺めていると
いつしか、そこに映る森や町が、海や空に変わり
めくるめく未知の世界が現れてくる。
そんな錯覚をおぼえさせる、不思議なサッシなのです。

そう。まるで、広大な海原に漕ぎ出した船の窓みたいに。

森の窓は、世界にむけてひらかれていた

――さっそくですが、「森の窓」って素敵な名前ですね。

山本さん:「いい名前だね」って言われますね。森のなかで窓をつくりたいという思いから、28年くらい前に名付けました。


――木製サッシをつくっている会社って珍しいですよね。なぜ木製サッシづくりをはじめたのですか。

山本さん:わたしはもともと、大型外国航路の船舶の機関士をしていたんです。外国航路に3年間。その後、青函連絡船「摩周丸」に乗って35歳までずっと海上機関士をしてたんです。けれども、連絡船がなくなるということと、僕は長男だし、いつかは石川県に帰ろうと思っていたこともあって、35歳の時に石川県に帰ってきました。

とりあえず働くところを探さなきゃっていうので、家内の親父の電子工場で仕事を手伝ってたんですが、木工が趣味だったので、仕事しながら木工の家具を作ったりしてたんです。そのうち、金具やガラス、パッキンとかを使った複合的なものを作りたくなって、はじめたのが木製サッシですね。

最初に手伝っていた電子工場はなくなってしまって、また別の電子関係の会社の下請けをしながら木工の会社をはじめたんです。でも、ものづくりをしたいっていうのが僕の夢だったんで、最終的にはこの会社だけに絞りました。

はじめた頃は女房と二人だったんだけど、だんだん人が増えちゃって。今は私を含めて社員17人。木製サッシの会社も、今でこそ増えたけど、僕がはじめた昭和48年頃は、ほんの数社しかなかったなあ。日本はアルミサッシが中心だしね。

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代表の山本忠嗣さん

――木工や木製サッシづくりは独学で研究なさったんですね。

山本さん:そう。勉強のためにドイツへは、120~130回は、行ったかな。


――へえ。100回・・・んっ? ひゃく・・・?!
サラッとおっしゃいましたけど。船舶と関係なく、サッシづくりをはじめてから、ですか?

山本さん:そうです。見本市に行って、そこで見つけた会社にコンタクト取って、また会いに行くっていうことを繰り返してたの。金具の会社、木工機械の会社、加工するカッターの会社から、パッキンの会社、塗料の会社などなど、1回行くと、5、6社を訪問しましたね。今も、木製サッシに使っている木は県産材だけれど、パーツはすべて輸入しています。

当時は、ヨーロッパが木の窓の本場だったんです。英語をしゃべるのは下手だけど抵抗はなかったし、物怖じはしなかったよね。ものづくりしてる人たちの心って、すごく純粋。たとえばテレビで見たことのない開け方の窓を見ると、「おもしろい窓だな。ノルウェイの窓か。よーし、ちょっと今度ノルウェイ行ってみるか」って、そんな感じです。

はじめてドイツに行った時は、かほく市(旧宇ノ気町)がドイツのメスキルヒって町と姉妹都市だと聞いたので、町役場行って「ドイツにいる人で、誰か知ってる人いないか」って聞いてね。突然ね。そしたら、日本人でドイツ人男性と結婚しているという女の人を紹介してもらって。すぐ電話かけて。それが40歳の時。ちょうど窓の見本市があるってことで、日程を合わせて行ったんだよね。


――そのフットワークの軽さは、外航船に乗っていた経験が生きているということなのでしょうか。

山本さん:それはあるかもしれないね。外航船に乗っていたのはたった3年だったけど、世界の色んな国に行ったよ。アメリカ、中央アメリカ(エクアドル、ホンジュラス、パナマ、キューバ、ジャマイカ)、南アメリカ(チリ、ペルー)。五大湖航路。セントラルローレンス川を上っていったり、ナイアガラの滝も見たしなあ。


――壮大過ぎて、何の取材をしているかわからなくなってきました。

山本さん:世界に行くことに抵抗は少なかったかもしれないですね。色んなところに住んでいるから言葉への抵抗もない。僕は、旧富山商船高等専門学校に進学したんだけど、5つ上のいとこがその学校出身でね。ちょうど僕が中学校の時、帆船海王丸でハワイに行った写真を見せられた。それで、僕もハワイに行きたいって思ってがんばって勉強して進学したんです。念願かなってハワイも行ってきましたよ。そもそも、人があんまりやってないことに興味や関心があるんだと思います。

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船の中を想像させる作業場

押すか引くかと思ったら大間違い

――森の窓の木製サッシづくりについておしえてください。

山本さん:まず、市場で丸太を購入して、製材所で製材してもらっています。うちでできないのは製材だけだね。そうして製材したものを運んできて、乾燥装置で乾燥させて集成します。それから必要な長さに合わせてカット、加工した後、部材を組み立てて、製品検査をしてから出荷。現場での取り付け作業までします。主に使っている材料は、能登ヒバ、能登杉、マツ、栗など。

基本的には、オーダーメイドで、お客さんの要望を聞いて提案する形をとっています。たとえば、「2階部分は窓拭きできるように回転窓でどうですか」というふうに、使い方に応じた提案をしたり、材料も、洋風や和風、使う場所に合うものを提案します。今のメインの商品は、北欧の窓とドイツ窓と、日本の引き戸ですね。

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手作業で丁寧に加工される

――ドイツの窓と北欧の窓って、違うんですか?

山本さん:これはドイツの窓で「ドレーキップ」といって、内倒しと内開きの2つの機能を、ハンドル操作だけで出来る窓。内開きにすれば外面の掃除も簡単にできます。さらに、「ヘーベシーベ」といって、ハンドルをひくと戸がもちあがって簡単にスライドできる機能もついています。

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上:ドレーキップ 下:ヘーベシーベ

こっちがノルウェイを代表する「エイチウインドウ」という反転窓。窓の両サイドの上側に金具がついていて、そこを軸に、窓がぐるっと上下に回転する。これも掃除が簡単にできるよね。

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エイチウインドウ。回転して内面と外面が入れ替わる仕組み

――ええ?!からくりみたいですね。どちらもはじめて見ました。

山本さん:どちらも内側から窓拭きができるというのは同じです。外から見た感じも同じ。金具が違っていて、スライドか、回転かという違いがあります。

まあ、木製サッシの値段は高いから、みんながみんな、使っているわけではないよね。やっぱり手作りだし、素材も高いし、金具も輸入したりしてるから、普通のサッシの2.5倍くらいの価格はする。

最近は公共物件に使われること多いですね。卯辰山の公園管理事務所とか、大野からくり記念館とか。津幡の森林公園でも全部うちの窓を使ってもらっています。今は、長野県の朝日村の村役場の窓をつくっています。町長さんが、全部地元の材料で町役場をつくりたいという意向を持っていて。木製サッシをつくれるところは限られてるから、うちへ依頼をもらいました。

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社屋は緑に囲まれている

窓は開かれつづける

ーーさて、これからの展望などおしえてください。

山本さん:現状維持ですね(笑)。あとは量産、コストダウンかな。よくやったので、そろそろ引退して余生を楽しもうかなと思っても、なかなか抜けきれないんです。幸い、息子も僕と同じくらいの年齢になったし、がんばってくれてるのだけど。

この場所に移ったのは42、3歳の頃ですが、木製サッシを本格的につくりかかって30年経ちました。今はもう、当時のようなバイタリティはないね。当時は探究心があったから、突き詰めて、究極やれるところまでやろうって感じでしたよね。奥の深い仕事だったので、研究すればするほど、もっと知りたくなっちゃったんですね。


――年齢を計算してしました・・・なんともお若いですね。もう海外での研究はお腹いっぱいですか。

山本さん:今は、もっぱら中国ですね。情報収集に、中国に行くようになって6年目です。先月も行ってきました。数ヶ月に1回行ってます。中国の友達から、「木製サッシの工場を作りたいから手伝って欲しい、教えて欲しい」って声をかけてもらっているからね。中国はこれからどんどんのびてくると思います。東京や大阪規模の町が、30も40もあるから、需要は絶対ありますよね。うちにも中国の研修生が2名来ています。


――やはり、とどまることを知らないですね。

山本さん:今までも、今も、好きなところで好きなことをやってますね。わがままだから。それが一番の仕事だと思っています。歳をとったから目標を失いかけることもあるけど、次から次へと考え出すと一晩中寝ないこともある。
悔いが残らないように、「あの時あそこに行っておけばよかったな」「あの時、そこでああしておけばよかったな」って思わないように生きてるだけのことですね。女房はよくついてきてくれたなと思ってるけど。


――では、最後に、あなたにとっての宝をおしえてください。

山本さん: 宝か…(遠くを見つめる)


――海原を想像なさっているのでしょうか…ありがとうございました。



 (取材:安江雪菜 撮影:下家康弘 編集:鶴沢木綿子)

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