PROJECT

宝のお仕事自慢

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#15

からあげ専門店 おっSAMA

国道249号線沿い、地域のスーパー「はらショッピング」の一角にある
からあげ専門店のおっSAMA。

引き戸を開けると、明るい店内には芳ばしい香りが満ち
パチパチと軽快にはじける油の音を耳にしていると
ついつい、ぐうとお腹も響きます。

「からあげ」は、その名前を聞くだけで誰もが心がおどる存在で
夕餉(ゆうげ)のおかずに、お弁当、お祭りやお盆、クリスマス
暮らしのさまざまなシーンに登場する人気者。

けれども、「外はカリっと中はジュワ」
そんな耳慣れたフレーズで語られる理想の味をつくるのは、容易くはない。

からあげも、人生も、シンプルに見えて奥が深い。
そんなことを考えさせてくれる、
味わいある、おっさまと、おくさまの話。

モデル、役者、ダスキン、ゴルフ場

ーー ご自身についてと、お店のオープンに至るまでを教えてください。

真治さん: 僕は宝達志水町の出身ですが、高校を卒業してすぐに横浜に行きました。高校生の頃から、将来は料理人になって自分の店を持ちたいなと思っていたので、当時バイトをしていたリゾートホテルの料理長に紹介してもらった横浜のホテルに勤めたんです。そこで5年ほど料理人の経験を積みました。

でも、22、3歳の頃、知り合いから「モデルとして仕事をやってみないか」って誘われたんです。

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モデルにスカウトされるのも納得のグッドルッキングガイ、店主の原真治さん

ーー ん?「モデル」って、あの「モデル」ですか?

真治さん:そう、ファッションモデルです。 うちの奥さんはもともとヘアメイクの仕事をしていて、そのつながりでキャスティング会社の方に声をかけられたんです。自分ではそんな華やかな世界に縁はないと思ってたんですけど、「ちょっとオーディション受けてみたら」と誘われて受けてみたら、たまたま合格して。それで東京コレクション※に出演することになったんです。

※東京で毎年2回開催される、ファッションショー。高級ブランドが新作を発表する。パリ、ミラノ、ロンドン、ニューヨークに次ぐ世界的なコレクション


ーー からあげの話をうかがう心算だったので、突然の展開にとまどっています。

真治さん: 今思い返すと、芸能界で活躍する俳優さんやモデルさんなどそうそうたるメンバーが周りにいたショーでした。僕はその中で一人、何もわからない素人だったのですが、自然な雰囲気が好みのデザイナーさんだったので「普通にしていていいよ」と言われて。 ウォーキングの練習もしませんでしたし、基本的なことさえも教えられないまま、ランウェイを歩きました。

正直、ショーに出ている時は全然楽しくなかったんです。わけもわからないし、ショーが終わった後も「こんなので良いのか?」と漠然としていました。でも、出来上がった写真や映像を見たり、周りの人から「出たいと思っても、なかなか出れないショーだよ」なんて言われてるうちに、良い経験させてもらったと実感するようになったんです。そこから「俺、もしかして料理やるよりも、こういう世界のほうが向いてるんじゃないか?」って思いはじめました。

それで、役者を目指すように。


ーー 役者。
 
真治さん:ショーでいろんなモデルさんを見た時に、同じ人間だとは思えなかったんです。身長が大きくて顔が小さくて。さすがに自分がモデルとして本格的にやっていくのは無理だなと感じたので、役者かなと。それで、事務所に所属して役者の学校にも通いました。

ちょっとずつですが、役をもらって映画やドラマに出られるようになったんです。でも全然食べていけない。出演料は微々たるものだし、出番がなければしっかりアルバイトをできるんですけど、出番があると撮影に行くので逆に生活が苦しくなっていくんです。


ーー 芸能人の若き頃の苦労話とかで、よく耳にしますよね。 

真治さん: そろそろ役者歴10年にさしかかろうとしている、そんなある時、有名女優さんと絡むシーンがあったんです。現場にはたくさんの大物俳優さんたちがいました。その光景を見つめながら、ふと、「俺は、この先こういう場所で生き残っていけるのだろうか?」って考えたんです。

役者を目指しはじめた頃は、夢を見ているみたいな感じで何もわかっていなかったけど、ステップアップしていくうちに、自分がこれからやっていこうとしている場所が具体的に見えたという感じでしょうか。「ああ、ちょっと無理だな」と思いました。

その撮影をきっかけに、役者は辞めました。32歳の頃ですね。

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ーー なるほど。ふとした瞬間に転機はやってくるものですね。そこで「俺にはやっぱり料理だな」と?

真治さん:いえ、まだです。

僕はもともと、役者を目指しながらダスキンで清掃のアルバイトをしてたんですが、店長からよく「もし役者の道を諦めたら社員になればいいよ」って言ってもらってたんです。その言葉に甘えて「役者やめますので」ってことで、ダスキンの社員になり、サービスマスターとして働きはじめました。


ーー 安定した仕事に就いて、自分のお店や宝達志水町が、さらに遠くなった感じがありますが・・・

真治さん:それが、ダスキンの社員になった後、すぐに息子が生まれたんです。息子は今度9歳になります。

緑さん:当時、私たちは自由が丘のマンションで暮らしていたんですけど、子どもが2歳になる頃かな。家のなかでドンドンと、跳ぶようになったんです。子どもだから仕方がないことなのですが、一度、マンションの別の階の人や管理人さんから、やんわりと苦情がきました。「申し訳ないんだけど、21時以降は子どもをおとなしくさせてくれない?」って。それから、なんとなく住みづらいな、と思うようになったんです。

真治さん:それに、自由が丘だと待機児童が多くて保育所に入れられない。なんとか入れても、月に7、8万円も保育料がかかります。僕自身、将来的には宝達志水町に帰りたいと思っていたので、奥さんと話しあって、子どもが保育所に入る前に帰ろうと決めました。祖父母が住んでいた家が空き家になっていて、住む場所があったことも大きかったと思います。


ーー それで、やっと念願の飲食店・・・。

真治さん:まだです(笑)。
祖父母が暮らしていたとはいえ、引っ越した家も古い家だったので、手直しをしたりお金がかかります。だから、とりあえずはかほく市内にあるゴルフ場の調理場に勤めたんです。ハローワークに行って求人を見てみたら、勤務時間は短いし、雪が降ったらクローズになるって書いてあって、すごく良いなって思ってそこを選びました(笑)。うどんや焼きそばなどの軽食や、日替わりの定食などを作っていました。


ーー ほう・・・それで・・・?(笑)

真治さん:はい(笑)。働きはじめて3年くらい経った頃、料理長から「自分も良い歳だし、次の料理長はお前に頼むぞ」って言われたんです。そのときは「わかりました。ありがとうございます、がんばります」と答えたんですけど、心の中では「この先ずっとゴルフ場に勤めるのか?」と迷いがあって。それならば、高校の時に考えていた「自分の店を持ちたい」という思いに向かって、今やろう、って思いました。

それで、ようやく、この店のことに動き出すんです。

決断の陰に奥さまあり

ーー ところで、奥さまは、都心からの引っ越しに抵抗はなかったんですか?

緑さん:私は鹿児島県のわりと田舎の出身だったので、抵抗はありませんでしたね。まあ、こっちの方が思っていた以上に田舎でしたけど(笑)。保育所にも入りやすいし、子どもが私たちの目の届くところで遊べるし。ドンドン跳んで注意されていた息子も、今では家のなかで縄跳びしています(笑)。

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緑さん

都会って、収入に差があるので、変な妬みみたいなのがあって、時々誰を信じて良いわからなくなることがあるんです。でもこの辺だと、みんな生活水準もだいたい同じだし、格差がないというか。東京で暮らすよりはずっと住みやすいです。

ただ、田舎はみんな知り合いなので気をつけないといけないことはありますよね。例えば東京でランチを食べていて誰かの噂話をしても何の問題も起こらないけど、田舎ではそれができない(笑)。こっちにきて学んだのは、「人の悪口は言わない、余計なことは言わない」ってことですね(笑)。


ーー 都会が恋しくなったり、都心に住みつづけていたらって、想像しませんか?

緑さん:先が見えなかったですね。私はヘアメイクをしていたので土日にも仕事があるけど、近くに子どもを預ける知り合いがいるわけでもない。都心で暮らすにはある程度の収入が必要だけど、40歳をすぎてから新しい仕事をはじめるのも、なかなか簡単じゃないし。きっかけは子どもの保育所だったけど、薄々、このままではやっていけないな、と感じていたところはあったと思いますね。

真治さん:僕も、都心から戻ってきたなりは、人混みが恋しくはなりましたけど、今は東京に戻りたいとかは思わないですね。遊びに行くので十分です。

揚げたてを食べれるという醍醐味

ーー さて話は戻りまして、ようやくからあげの質問ができます。まず、なぜ、からあげ屋さんなのでしょう?

真治さん:そもそも、うちの家族が経営している同じ敷地内のスーパー”はらショッピング”のテナントスペースが空いていて、ここで店をするということは決めていたんです。今は店舗を拡張しましたけど、最初は本当に狭いスペースだったので、そこで何ができるか、ということから考えはじめました。

緑さん:私の出身地の鹿児島県には小さいスペースで営業している持ち帰りのからあげ屋さんがたくさんあるので、旦那にも「ここでからあげ屋をしたら?」って言ってたんです。最初は旦那の方が私に「じゃあやってよ、軌道に乗ったら俺やるから」とか言ってたんです。出たーって感じですよね(笑)。でも、「この場所でからあげ屋をやったら絶対流行る」って言ってくれていた鹿児島の父が亡くなったり、旦那自身、ゴルフ場で料理長になるかどうかを迷っていたり、息子は小学校入る頃だったり。いろいろなことが重なって、「このタイミングで、ここで、からあげ屋をやろう」ってことになったんです。

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二人で店を切り盛り

真治さん:からあげ屋で働いたこともなかったし、正直、からあげ屋を経営していく自信もありませんでした。だから店を立ち上げると決めてからは、金沢や大阪、もちろん九州、いろんな所のからあげを食べ歩いて研究しましたね。食べてみておいしいと思ったものを再現して、それから自分なりにアレンジして、今に至っています。

からあげって誰でも作れるといえば作れるし、どこにでもあるといえばあるから、からあげでお金もらうっていうのは、簡単じゃないんです。

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見よ、この黄金色の衣を。

ーー 研究の成果は現れていますよね。衣はサクふわ、中のお肉がとっても柔らかくて、ここだけの美味しさになっている気がします。

緑さん:よく、おじいちゃんおばあちゃんから「ここのからあげなら、柔らかいから食べられる」って喜んでもらえます。

真治さん:”いい道の駅のと千里浜”にも商品を出しているんですが、道の駅で食べた方が、「せっかくだし揚げたてを食べたい」と言ってお店に来られることもあります。お店のオープン当初はお弁当か単品のテイクアウトが専門だったんですが、やっぱり揚げたてを食べられるっていうのが醍醐味だと思ったんで、最近はランチも提供しています。

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からあげ定食でも、オリジナル、カレー味、ピリ辛の3種から味が選べて750円から。お手製のお惣菜もおいしい。

ーー味の種類があるのも女子心をくすぐります。 揚げたてを食べれるのもやっぱり嬉しいです。

真治さん:開業前に「からあげ屋をやる」って話をすると、大抵の人が「からあげなんて、スーパーにもあるし、コンビニにもあるし、やってもしょうがない」って意見だったんです。でも、自分の欲しい時間に揚げたての揚げ物があるって、絶対に便利だと信じてました。

今は、地元のお客さんが多いですね。クリスマスなどのイベント時や、お正月、お祭りなど人が集まる時にも、まとめて注文いただいてます。

「ああ、おっさまか!」

ーー オープンが2016年6月。もうすぐ4年ですが、これからの展望などありますか。

真治さん:開業から3年経って、地域の人にも少しずつ覚えてもらえるようになったかなという感じなので、これからは宝達志水町のソウルフードになれるように、がんばりたいと思っています。”宝達志水といえばからあげ”って感じで、地元の人がうちのからあげを勧めてくれるくらいになりたいんです。


ーー 地元を大事になさってるんですね。そういえば”おっさま”って店の名前も、石川県の方言で、次男って意味ですよね。

真治さん:店を開くにあたって、内装とか自分の手でできるところは自分で準備していたんですが、作業をしていると色んな人が「何の店をするんだ」って訪ねてくるんです。「からあげ屋をやります」「いつからやるんだ」「6月です」とかって会話になりますよね。そうこう話をしていると、最終的にだいたい「お前、誰だ?」って聞かれるんですよ(笑)。

僕は高校を卒業してすぐに町を出て行ったので、地元の人はそこまでの僕しか知らないんですよね。でも、両親と兄はスーパーで働いていて、皆さん知っているので、「はらショッピングの次男坊ですよ」って答えると、たいていの人が「ああ、”おっさま”か!」って(笑)。それならもう、お店の名前も”おっさま”にした方が、地元の人にもわかりやすいし、親しみもあるだろうなと思ったんです。

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壁にかかる黒板アートも、真治さんのアイデア

すべてが合わさって、ひとつの形に

ーー 紆余曲折あった人生の中で、いろんな人の意見を聞いて柔軟にやってきた結果、今ここにあるという感じがしますね。真治さんご自身、からあげみたいに柔らかい、とか言っちゃったりして。

真治さん:結局、店をやるってなると、ほとんどのことを自分でやらないといけないんです。お客さんと接するときも、あんまり感じの悪いのはよくないから、ある程度は演じます。それに、からあげは油汚れがつきやすいので、ダスキンの清掃での経験が生きてるし。料理経験ももちろん、すべてが僕の中で合わさって、ひとつの形になったんだって思ってます。

若い時はもっとでかい夢とか野望ありましたけど、40歳になったら、自分のできる範囲でやっていくのが良いかなと思っています。この場所の規模感も、自分には合ってるんです。 

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ーー 最後の質問ですが、あなたのお仕事にとっての宝は何でしょう。

真治さん:やっぱり来てくれるお客さんが宝ですね。特に常連のお客さんでしょうか。オリジナル、カレー、ピリ辛と、味の種類はあるけど常連の方はほとんど同じ味のものを食べてらっしゃいます。そもそも、からあげ自体は、毎回、同じものを出してるんですよね。それでも繰り返し来てくれるってことは、その都度その都度、味が合格してるってことなんだと思うんです。試験じゃないけど、その方の中でうちのからあげの味が毎回合格してるから、また来てくれてるはずなんです。だから常連のお客さんには、こちらもそういう思いでからあげを提供しますし、いつもありがたいと思っています。宝ですね。


(取材:安江雪菜 撮影:下家康弘 編集:鶴沢木綿子)