PROJECT

宝のお仕事自慢

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#16

松浦味噌糀醸造所

宝達志水町今浜。
宝達川の下流にほど近い、風が通り抜ける気持ちの良い一角に、
松浦味噌糀醸造所は建っています。
看板はありません。

「なにも見てもらうものなんてないよ」
そうはにかみながら、
ほのかに酵母の香る作業場に足を踏み入れたとたん
頰に色が差し、顔つきが変わる。
声までもが、張りを出して響きだす。
そんな主人の正光さんの様子を見つめていると、
どんな言葉で語られるよりも、ずっと確かな
人生や時間の手触りが、浮かび上がってきます。

うぬぼれも、自己陶酔もない。
ただ、ただ、一生懸命、ここでやってきた。
正光さんの姿そのものが語る、宝の、お仕事自慢。

昔のままの作り方で

ーー 松浦さんのお仕事について教えてください。

正光さん:はずかしいね(笑)。

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主人の正光さん

ーー そうおっしゃらず(笑)。松浦さんのところでは代々、糀を作っておられるんですか。

正光さん:ほうやね。わしで四代目になります。創業は明治のはじめくらいか、そんなもんやと思う。わしは生まれも育ちもずっと宝達志水町で、町外に勤めたこともあったけど、一人っ子やったし親も戻ってきてほしかったみたいやから、2年ほどですぐに戻ってきたね。それで、親父の仕事を継いだっちゅう感じやね。うちはもともと、田んぼ仕事の合間に糀だけを作っとったんやけど、わしの代から味噌づくりもはじめて、今は生糀と味噌の両方を作っとる。「大根寿し、かぶら寿しの素」として、甘酒も売っとるよ。

昔は、糀は冬にしか売れんかったけど、塩糀の人気もあってか、ここ10年間くらいは、一年中糀を作っとるね。一番忙しいのは12月から3月頃で、それ以外は、畑仕事をしたり、藁の菰(こも)※を編んだりして冬の準備をしとることが多いかね。

※糀を発酵させる時に、糀にかぶせる藁の蓋


ーー 生糀って、今では、めずらしいですよね。

正光さん: 乾燥糀を販売しとるところはあるみたいやけど、生糀は手に入らんみたいやね。生糀は常温で3週間くらいしか日持ちせんから、作っとるところも少ないみたいやわ。

うちは本当に、昔のままの作り方をしとるよ。研いだお米を一晩水につけて、蒸し器で蒸す。蒸したものを一度冷やしてから、室(むろ)※の中に丸二日入れて、発酵させる。室の中の温度は、ほとんど勘で調整しとって、温度計も入っとらん。糀づくりにはこの温度管理が大事で、うまくいくと糀菌が発酵して花が咲いたみたいになるんやわ。でも、この花を咲かせるのが難しくてね。技術的には、10年くらいかかると思うね。

※麹菌を発酵させるための部屋。温度、湿度が一定に保たれている

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白い花が咲いた糀。白い雪のようで美しい

ーー 糀や味噌はどんなところで販売しているんですか。

正光さん: 生糀は、かぶら寿司とか漬物を作る業者さんやったり、スーパーに卸しとる。あと、直接買いに来る人も少しおるかな。学校の授業で味噌づくりをするところがあって、そこに送ったりもしとるね。

味噌は、金沢の市場とかスーパーに卸したり、直接注文を受けて送ったりもしとる。不思議なことに、顔も知らんし会ったことも喋ったこともないけど、北海道とか大阪とかから、何十年間もずっと注文してくれるお客さんもおるんやわ。昔、宝達志水町に出稼ぎに来た時、うちの味噌を食べたのか知らんけど、お孫さんの代になってもなお、注文してくれとるね。北海道やったら近くに美味しい味噌どころもいっぱいあるやろうに、不思議やね。


ーー 間違いなく、美味しいからでしょうね(笑)。オススメの食べ方ってありますか?

美差子さん:何しても美味しいですよ(笑)。うちは娘が同居してて孫もいるんですが、孫たちは豚汁が一番喜びますね。糀は、塩糀にしたり、醤油糀にしたりして使ってます。うちの糀は、熟生発酵がいいから甘いって言ってくださる方が多いんです。

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奥さんの美差子さん。あっけらかんとした性格なんです、と笑う

ーー ところで、お二人、ご結婚は。

美差子さん:昭和42年です。お見合い結婚なんです。最初の印象は、よくもなし、悪くもなし。こんなもんでしょうって感じでしたね(笑)。


ーー ずっと、お二人で切り盛りなさってるんですよね。

正光さん:人を雇ったことはないし、二人でやっとるね。わしはそんな商売上手じゃないけど、こっち(美差子さん)は商売上手なんです。だから販売担当やね。

美差子さん: こっち(正光さん)は、「職人」なんです。だから、片一方が好きじゃなかったら、片一方は好きにならんといけません。合わせていくしかないですから(笑)。私も、特に商売していたわけではないですけど、郷に入れば郷に従えですからね。それだけです。


ーー 職人気質ということは、糀や味噌づくりはお好きだったんですね。

正光さん: いやあ・・・ どっちかっていうと好きじゃなかったね。最初は糀そのものの匂いがあんまり好きじゃなかったから。まあ、何年かやっとる間に、なんにも感じんくなって、「これで良かったんかな」って思うようになってきたわ。仕事が好きでどうしようもないってことはなかったけど、長い間やっとったら、今じゃそれしかできんくなったって感じやね(笑)。

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作業場所に立つと、表情が変わる。室(むろ)も正光さんが作っている

ただ一生懸命で、楽しいとか、苦しいとか、感じんのです

ーー 長いご経験のなかで、ご苦労なさったことはありますか。

正光さん:なんか忘れたけど、いっぱいあったね。「あら間違ったとったわ!」ってのもあった。糀や味噌づくりの失敗っていうよりも、機械の失敗やね。簡単な機械を入れてみたら、いらなくなったり、思うように動かなかったり。親父とはあんまり気が合わんかったから、戻ってきてすぐに一人でやるようになってんけど、味噌づくりも始めたし、商売が軌道になるまでは試行錯誤やったね。若い時はなんせお金がなかったから、ないお金を無理して出して買ったものが失敗やったら、こたえたよ。

20代から30代くらいは「やっぱり辛いな、やめとこうかな」とか、ずっとそういうのが何年か続いた気がするな。


ーー いっそ、やめてしまいたい、と思ったり。

正光さん: どうやろね。わしらが学校を出て働くようになった時分は、この辺にそんなに変わった仕事もなかったからね。一つの仕事をはじめたら、これでやっていかないと、っていうのはあったね。

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洗う、蒸す、冷やす、工程ごとにさまざまな道具が必要になる

ーー 逆に、これは良かったな、とか、楽しかったなというご経験は。

正光さん:今から思えば、それでよかったんやろうけど、楽しいことなんてなかったね。ただ、ただ、一生懸命にやってきただけやね。

美差子さん:目の前の仕事に一生懸命で、楽しいとか苦しいとか、そんなこと全然感じんのです。

趣味になって、しもうとる

ーー お子さんに継いでほしいと思うことはないですか。

正光さん:娘と息子がおるけども、それぞれ仕事を持っとるし継いでほしいって言ったことはないね。やっぱり先々どうなっていくのかが見えない仕事やし、自分自身けっこう辛かった時があった分、子どもたちにそれをしろとは言えんね。こんなにしんどいことするんやったら、サラリーマンのほうが楽やわって思ったことが、何回もあったしね。

昔は、近所にも味噌を作っとるところがもっとあったけど、 ここ5年ほどの間に、ものすごい勢いで減っていったね。わしの仕事もこのまま消滅していくのが今の時代でないかと思うね。

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昔ながらの木桶で味噌をつくっている

ーー それでも正光さんご自身は、これからもできる限り、続けていかれますか。

正光さん:わしらはやめたくても、やめれん(笑)。「がんばれ、がんばれ」って言う人間がおるから。

こないだも大根寿しを作っとる店の人に「まだ死なないでね」って言われたね(笑)。糀を届けにいったら「いくつになった?」って聞かれて「80歳じゃわい」って言ったら「あと10年やってもらわないと、困る」って(笑)。いつでもやめたいなと思っとるんやけど、 たぶん、わしらは、死ぬまでやるんやろうね。(笑)。

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創業以来、変わらないパッケージ

ーー では、最後の質問です。なんだかこの質問をすることさえもはばかられるのですが、正光さんのお仕事にとって、宝とは何でしょうか。

正光さん:もう、趣味が仕事になってしもうたからねえ・・・。

今、自分に何ができるかって言ったら、できるものはあんまりない。ただ、糀を作ることしか能がないんやわ。あんまり好きでもなかった仕事やけども、長く続けとるから、もう今じゃ趣味になってしもうとるんやね。


ーー 長く続けてきたことで、糀づくりが、「仕事」ではなくて、松浦さんの生活や松浦さん自身の一部になったと。

正光さん:そうやね、糀づくりも味噌づくりも、もう日常の一コマになってしまっとるね。朝起きたら、自然と足が工場に向くんやわ。


(取材:安江雪菜 撮影:下家康弘 編集:鶴沢木綿子)