――木工や木製サッシづくりは独学で研究なさったんですね。
山本さん:そう。勉強のためにドイツへは、120~130回は、行ったかな。
――へえ。100回・・・んっ? ひゃく・・・?!
サラッとおっしゃいましたけど。船舶と関係なく、サッシづくりをはじめてから、ですか?
山本さん:そうです。見本市に行って、そこで見つけた会社にコンタクト取って、また会いに行くっていうことを繰り返してたの。金具の会社、木工機械の会社、加工するカッターの会社から、パッキンの会社、塗料の会社などなど、1回行くと、5、6社を訪問しましたね。今も、木製サッシに使っている木は県産材だけれど、パーツはすべて輸入しています。
当時は、ヨーロッパが木の窓の本場だったんです。英語をしゃべるのは下手だけど抵抗はなかったし、物怖じはしなかったよね。ものづくりしてる人たちの心って、すごく純粋。たとえばテレビで見たことのない開け方の窓を見ると、「おもしろい窓だな。ノルウェイの窓か。よーし、ちょっと今度ノルウェイ行ってみるか」って、そんな感じです。
はじめてドイツに行った時は、かほく市(旧宇ノ気町)がドイツのメスキルヒって町と姉妹都市だと聞いたので、町役場行って「ドイツにいる人で、誰か知ってる人いないか」って聞いてね。突然ね。そしたら、日本人でドイツ人男性と結婚しているという女の人を紹介してもらって。すぐ電話かけて。それが40歳の時。ちょうど窓の見本市があるってことで、日程を合わせて行ったんだよね。
――そのフットワークの軽さは、外航船に乗っていた経験が生きているということなのでしょうか。
山本さん:それはあるかもしれないね。外航船に乗っていたのはたった3年だったけど、世界の色んな国に行ったよ。アメリカ、中央アメリカ(エクアドル、ホンジュラス、パナマ、キューバ、ジャマイカ)、南アメリカ(チリ、ペルー)。五大湖航路。セントラルローレンス川を上っていったり、ナイアガラの滝も見たしなあ。
――壮大過ぎて、何の取材をしているかわからなくなってきました。
山本さん:世界に行くことに抵抗は少なかったかもしれないですね。色んなところに住んでいるから言葉への抵抗もない。僕は、旧富山商船高等専門学校に進学したんだけど、5つ上のいとこがその学校出身でね。ちょうど僕が中学校の時、帆船海王丸でハワイに行った写真を見せられた。それで、僕もハワイに行きたいって思ってがんばって勉強して進学したんです。念願かなってハワイも行ってきましたよ。そもそも、人があんまりやってないことに興味や関心があるんだと思います。