PROJECT

宝のお仕事自慢

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#01

近岡屋醤油(ヤマチ醤油)

古い町並みが残る、今浜地区。
大通りを少し入った路地の先に、近岡屋醤油はある。

青空に映える黒瓦の大きなひとつ屋根と
風雨が馴染んだ板張りの外壁、真上に突き出した煙突。
ガラスの引き戸に、生成色の暖簾が揺れ、
おかみさんの明るい声が響く。

あたり一面を満たす芳ばしい香りに、
訪れた人々は、思わず深呼吸を繰り返してしまう。

まるで、いつかの時代にタイムスリップしたようなほっとする空間。
けれども、「時が止まったような」という表現は似つかわしくない。

なぜなら、ここでは、今この瞬間も、
人びとが、菌たちが、ふつふつと息づき、営みを続けているのだから。

実は明治創業だった?代々女性が継ぐ老舗

――とても立派な蔵の建物ですね。

おかみさん:醤油蔵としては小さい方ですが、他の醤油屋さんでは、いくつかの棟が連なる構造が多いので、ひとつ屋根の醤油蔵というのは珍しいかと思います。

――大正8(1919)年、創業だとか。

おかみさん:実は最近、古い登記の書類が見つかり、本当の創業は明治18(1885)年だとわかりました。ただ、「大正8年創業」といろいろなメディアに公表してきたので、そのままにしています(笑)。創業当時から数えると、私で、6代目ですね。

一部に機械を取り入れ、本格的に醤油屋業をはじめたのは、私の主人の父親の代でした。しかし義父は当時、公務員業と仕事を兼ねていたため、そのうち、醤油づくりにまで手がまわらなくなってしまいました。そこで、主人の母親が醤油屋業を引き継いだのです。さらにその後、私が嫁に来て後を継ぎ、いずれは、息子の嫁に継いでもらおうと思っています。
たまたま男性陣は外に出て勤めていたので、女性が継ぐ形で、今までやってきました。

私は、金沢から嫁に来たのですが、当時は自分が女社長になるなんて想像もしませんでしたよ(笑)。醤油づくりも、お姑さんがやってらっしゃるけれど、どこまで手伝えば良いのかわからなかったですし。何も知らないというのはこわいもので、醤油屋を継ぐとわかっていたら、嫁に来なかった気もします(笑)。

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「すぐ落ち込むし、息子に言わせるとすぐ拗ねる(笑)」というおかみ(近岡志緒美)さん。ご本人はとっても明るく上品。このお人柄が人をつなぐと言っても過言ではないだろう

昔ながらの菌たちが、蔵中にいきいき棲みついている

――創業時から変わらない杉樽木樽仕込みと、蔵人が手作業中心で製造する昔ながらの方法が特徴だと思います。杉樽木桶を残す醤油屋さんは、少なくなりましたね

おかみさん:昔は、杉樽木桶、手作業での醤油づくりは、当たり前だったと思います。私はこの方法しか知らなかったですし、誰もが同じ方法をとっていると思っていました。けれども気がつくと、周りでは機械化が進み、同じ方法でお醤油をつくる蔵元は少なくなりました。石川県内でもお醤油屋さんは多くありますが、自社仕込をしているところ自体が少なく、自社で仕込んでいても、FRP素材のタンクやコンクリートの桶を使っていらっしゃったりします。

正直なところ、全面的に機械化が進んだ時代、うちは資金がなくて機械を取り入れられなかったのだと思いますが、そのおかげで、今となっては貴重な、昔ながらの手法を残すことができました。

樽はもちろん、柱、梁など、この蔵のいたるところには、ご先祖様の代から棲みついている酵母菌や乳酸菌がいます。そして、それらは、今もしっかり生きています。
同じ材料を用い、同じつくり方をしても、別の場所で同じ醤油ができないのは、彼ら酵母菌や乳酸菌が、醤油の味を成しているからです。

どちらも祖先から受け継いだものです。しっかり守っていかなくては、と考えています。

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黒瓦のひとつ屋根が特徴的な外観

――では、ぜひ、そんな菌たちが生み出す味、商品の自慢をしてください。

おかみさん:なんといっても、自慢できるのは、杉樽木桶で2年間寝かせた「もろみ※」のまろやかな味わいでしょうか。

醤油づくりではまず、蒸した大豆、煎った小麦、麹菌を合わせて醤油麹をつくり、それを食塩と一緒に混ぜて寝かせるのですが、うちは、木桶のなかで自然のまま2年間、醤油麹を熟成させます。

大手さんであれば、短期間で多くの製品をつくらなくてはいけないため、熟成期間は半年ほどということもあります。うちの場合は、幸か不幸かそれほどたくさん出荷するわけではないので、2年間、木桶の中でしっかり仕込んで発酵させることができます。

永く寝かせることによって、「塩角(しおかど)」がとれた、もろみができます。そして、そのもろみを搾った「生揚げ醤油※」をすべての商品に使います。特別な醤油だけではなく、すべての商品を同じ方法でつくっているという点も、特徴ですね。

※もろみ:原材料と麹と塩水、酵母を混ぜて発酵させたもの。水分量の多い味噌のような形状で、このまま熟成させて搾ったものが醤油になる。

※生揚げ醤油:諸味を搾ったままの醤油。

人とのつながりが、宝

――おかみさんにとって宝達志水町とは、どういうところですか?

おかみさん:嫁に来た当初は、特別、何とも思いませんでしたが、今はとっても好きな場所です。宝達志水町も、能登全体も、好きですし、なにかにつけて、町や能登が、良くなればいいなと考えています。

たとえば行楽シーズンの日曜日で雨が降ったりすると、「千里浜なぎさドライブウェイ通行止めになってないかしら。お客さんが少ないかも。大丈夫かしら」と、あまり関係ないのに、心配になったりします。

それでも、私が町の中で一番好きな場所は、ここ(近岡屋醤油)ですね(笑)。落ち着きます。

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お客さんが直接買いに来ることも。おかみさんが持っているのは「ゆずポン酢」。高知県産18年もののゆずをつかっている。冬は鍋物、夏はドレッシング代わりと、年代性別地域問わずに好評。

――おかみさんがお仕事をする上での、「宝」は何でしょう?

おかみさん:たくさんあります。蔵ももちろんそうですし。仕事しに来てくださる職人さんも宝です。でもやっぱり、一番と聞かれると、「人とのつながり」ですね。

人というのは、一番にお客さんです。お醤油買いに来られた方には、すこしでも良い思いで帰っていただきたいと心がけています。

また、息子の嫁も関東から来たのですが、地元に馴染んでくれていますし、そういったつながりも、とても感謝しています。
先代である姑は他界しましたが、今でも「ここが大事だったのか」など、日々、仕事のなかで気づかせてもらっています。亡くなられたあとも、「こういうふうに仕事していらしたわ」と思い出して、真似をしてみることも多いです。

姑がしてくれたように、私自身も、伝えたいことを自然に行動で表しながら、次の代へ継いでいきたいです。ヤマチ醤油そのものを好きになってくだされば、私たちが代替わりしても、また、お客様の次の世代にも、価値が伝わっていくのではないかと思っています。


TOP写真:左から、息子の嫁である由紀さん、おかみさん、蔵人の中田さん。 この他、おかみさんのご主人と、もう一人、蔵人さんが働いている

(取材:安江雪菜 撮影:下家康弘 編集:鶴沢木綿子)